乗車日記

自転車ときのこ

風姿花伝 読了

久しぶりに能を見たところで、タイミングよく講談社学術文庫から出ていた*1ので買ってしまった。以前から何か抽象的な芸術論が語られているのだろうと勝手に想像していたが、実際には大変具体的で分かりやすい内容で、大きな感銘を受けた。
 父観阿弥の教訓を世阿弥が文章にして残したものである。最初は能の稽古について年齢ごとに詳しく、次は演技の対象の本質をどのように真似るべきか、さらにQ&A、能の本の書き方、一座を維持していくうえでの心得なども記述してある。もともと金春家と観世家に秘伝として伝わっていたもので、大正になってから公に出版されたらしい。
 随所にみられる、色々なことを考えて工夫をこらせ、下手な人も何らかの才能を持っているからそこから学ぶべき、そして意外性こそが人を感動させる秘訣であるといった教えは、能の本義を伝えているだけでなく、現代でも様々な局面で教訓となると思う。
 特に最後の口伝にあった「年々来ノ花ヲ忘ルベカラズ」は自分は意識したことがなかった考えだったので興味深かった。初心者のころの芸風、若いころの芸風などを捨て去らずに自分の中にとっておき、必要に応じて取り出して使うということらしい。なにも成熟した技だけがすべてでもなく、若いときの勢い、初心のころの期待に溢れた感覚などもそれはそれで良いものなのだから、そういうものも失わずにいることでより幅広い活動ができると自分は解釈してみた。
 その他、中世の人間の感覚が分かる記述も面白かった。女御、更衣などは実際に見ることがないので真似るのが難しいと書いている一方で、神・仏・生霊・死霊などの憑き物については、その憑き物のさまを学べば容易に手がかりが得られる、と書いてある。中世の人間にとっては後者の方がずっと身近だったのだろうか。また、能の立会勝負というものが頻繁に有ったようで、勝負に勝つ秘訣が記述されている。時分に良いときと悪いときがあり、それらは移り変わるので、悪い時分は何とかしのぎ、時が好転してきたら全力を出すべしなどという話が、弓矢の道と比べながら記述されている。何事にも争いがあった時代なのだろうか。それから、高貴な人々を喜ばせる高尚な演技ばかりでなく、地方に行って興行するような場合は観客に合わせて喜ばれる演出を行うべきということが何度も語られている。そのころは、畏まったものではなく普通に様々な人が娯楽として見るものだったようだ。

*1:といっても1969年に別の出版社から刊行されていたものが、このたび講談社学術文庫に収録された。