乗車日記

自転車ときのこ

炎の門 小説テルモピュライ 読了(12/17)

以前に読んだヘロドトスの記憶では、スパルタ軍300人のみでテルモピュライでペルシャ軍200万を一週間支えたと思っていたが、実際はスパルタ軍を中心として他のギリシャ軍も参加していたようだ。
 またスパルタと言えばホメーロスに歌われたトロイア戦争の主役でもある。しかし、そこに歌われたミューケーネ文明の頃のスパルタ人は、後にドーリア人に征服され、暗黒時代の後のスパルタ人はホメーロスの頃の人々と全く違うと知って衝撃を受けたことがある。
 それはそうと、この本はリュクルゴス法に従って共同体を鍛え上げ、同数以上の戦いで負けたことが無いと言われていた頃のスパルタの話。小説というスタイルならではで、主人公の目を通したスパルタ人の生活が生き生きと浮かび上がってくる。肉体より先に精神が折れることを最も恥とし、如何なることにも動揺しないように幼い頃から鍛え上げられるという。小説中では苦痛に負けることを良しとしないばかりに死んで行く少年が何人か出てくる。
 さらに象徴的なものは盾。戦列を組んだ時に左隣の同胞を守るものなので、最も大切に扱うべきものとされている。槍やヘルメットは自分のものなので、無くしても自分に帰する。しかし、盾は共同体を守るべきものなので、自分のものではなく共同体のものと考えられている。物語中でも、盾が重要なポイントで現れてくる。
 これはギリシャの重装歩兵戦術が、互いにフォーメションをきちんと組んでいてこそ力を発揮できるものだからであり、スパルタ軍の強さが、個々人の肉体的鍛錬よりもむしろ仲間を思う力に起因していることが強調されている。
 これで気がついたが、後にスパルタが同数以上の戦いで最初の敗北を帰する相手がテーバイの神聖隊であったことは、象徴的かもしれない。エパミノンダスの斜線陣の力もあったであろうが、仲間を思う力という上で神聖隊の方が上だったのかもしれない。
 ギリシャ人達はギリシャ人は自由である強く、ペルシャ帝国では王の他はすべて奴隷であるため弱いように主張しているが、当時のギリシャは実のところ正市民の下にその数倍の多数の奴隷がいることを前提とした都市国家である。むしろ奴隷の数を保つため互いに戦争をしているのではないかというぐらいに、やたらと互いに戦争している。
 この小説では主人公を自分のポリスが戦争で滅ぼされ、さまよったあげくスパルタの強さに憧れてスパルタ人の奴隷となった少年とすることで、その影の部分も余す事無く描いている。また、当時の人間の思考を出来るだけ再現し、その精神を再現しようとしている。まるきり現代人の考え方をする人間ばかりが出てくる歴史小説もたまにあり、幻滅することがあるが、この本は非常に好感をもてた。また、当たり前だがペルシャ側についても公正に記述してある。映画の300はイラン政府から抗議を受けたらしいが、この本は大丈夫だろう。
 後編としてペロポネソース戦争を扱った本が出ているらしいが、残念ながら邦訳はまだ無い。頑張って読んでみるか、それとも出版社に手紙でも送ってみるか。