乗車日記

自転車ときのこ

待賢門院璋子の生涯 読了

少し前に読み終えたが、忙しくて感想を書く暇がなかった。確か以前に司馬遼太郎の本で藤原璋子についての記述が少しあり、それ以来、璋子という人に興味はあったが、この本の存在を知らなかったため深く知ることはなかった。昨年読んだ白洲正子の「西行」の中で引用されており、また本屋で開いてみた渡辺淳一の本でも参考文献に挙げられていたことなどから購入にいたった。
 白河法皇、藤原珠子、鳥羽天皇の関係をさまざまな公卿の日記から丁寧にたどって、詳細に分析している。恐るべき情熱がなければ、これほどのものはかけないと思う。月の障りの周期を再現して、里帰りの日と重ね合わせ、崇徳天皇白河法皇の種であることを実証しているくだりなど、背筋が寒くなるほどの鋭さだ。正直言ってこれほどまでに日々の行動を再現されると、歴史上の人物といってもプライバシーがあるのではないかと考えてしまう。作者もそのあたりは気になっているようで、崇徳帝の出自こそがその後の騒乱の種なので明らかにする必要があり、通常ならば許されないことだと記している。
 しかし璋子というひとの魅力がどこにあったのか、それが最も知りたいところだったが、読み終えてもまだ漠然としている。むしろ白河法皇の魅力のほうが自分には良く伝わった。前例がないことなのでと周りに言われても、前例は自分が作るといって押し通し、平安時代の人たちがあれほど嫌った死の穢れもものともしないその強い意志が最強の権力者となりえた理由だと思われる。璋子の人生は白河法皇の死とともに凋落しており、彼女の魅力は白河法皇の光の反映としてのものだったのかという気もする。筆や音楽には大変長けた人だったらしいが、周りの女官に和歌の名手が多い割には本人は和歌は苦手だったらしい。一度も歌会を開いてないとのこと。本人の作った和歌が残っていないのも、内面が分かりにくい原因なのかもと創造する。
 また、この本を読むことで平安朝末期の社会の雰囲気も少し掴むことが出来た。璋子の立后の儀式の費用、白河法皇が立てた法勝寺の大伽藍の建設費等々、今の感覚であれば国家予算として税でまかなわれるべきものが、すべて受領の私財、といっても地方から巻き上げてきた財物、によって賄われている。その費用は膨大なものであっただろうが、まあ当然その見返りというか、払う以上に巻き上げていることは間違いない。都の職人たちはそれで潤うという面もあるが、地方は巻き上げられる一方で、その上大変さげすまれている。一般論としてはそういう状況は聞いてはいたが、具体的な事例を示されるとまた違った印象となる。よくこんな権力構造で反乱が起こらないものだと逆に感心してしまう。人は時代ごとに違う考え方の中で暮らしているわけだから、現代的な視点での批判は避けるべきだし、意味を持たないのだろうが。。。