乗車日記

自転車ときのこ

ケインズとハイエク 読了

職場の購買で見つけたので買ってしまった。色々とニュースや記事を読んでいると二人ともなんとなく話に出てくるが、体系だててその考えを学んだことはなかった。二人とも戦間期から2次大戦後に掛けて激しいやり取りを交わしたようだが、最終的な考えはそれなりに近いところにあるようだ。
 ケインズは当初社会の分析から始まるが、次第に分析よりもすでに社会にある概念・習慣を観察によって見つけ出すという立場に移っていく。ハイエクは分析者が当てはめる概念自体が議論の枠を作ってしまうことを強く拒否している。特に集計を行う上での同一とみなせる単位を恣意的に定めることになる統計経済学理論はまったくおかしいという立場のようだ。さまざまに行動する個人があって、それらが市場において相互作用することで、自発的に商品の種別は生じるし、社会を動かす新たな概念も自発的に生じてくるとしている。しかし、ハイエクは市場における知識の生成・進化メカニズムにより重点を置き、そこで得られた知識そのものにはあまり興味をもっていないように感じられる。それに対して、ケインズは個々人は違うといっても、ある集団のある時間区間と限定すれば、何らかの共通法則・概念・習慣のようなものを見出せるはずで、一時的な経済運営の対処法にはなりうるとしている。
 しかし、人の歴史スケール程度の時間では定常的に同じ法則が通用する自然科学と、常に過渡状態にある社会を扱う経済学は基本からして異なるという点において両者は共通している。二人の研究の範囲が経済分野にとどまらず、人が如何に不確定な未来に立ち向かうのかという心の機能、さらには集団的な心の機能を考察する方向に進んでいったのは、何か絶対的な法則があるというのではなく、人間とその集団の動きこそが経済ということなのだろう。
 ただ、ケインズ流動性プレミアムの発見に象徴されるように、人の未来への不安面を重視しているのに対して、ハイエクはきちんとした市場環境があれば相互作用によって人は漸進的に進化していけるという未来への希望面をより重視しているようだ。ハイエク自身は1次大戦十軍時に死にかけた際にも恐怖を感じなかったという人なので、自分を尺度に理論を考えているのだろうと思う。しかし今の日本は未来への希望よりも不安によって支配されている感がある。流動性プレミアムが上がりすぎて、ゼロ金利でも貨幣への嗜好に対抗できないのならば、エコポイントのように国内でしか使えない消費期限付き商品券を強制的に配り続けるのがよいのかもしれない。まあ実際にやろうとすると、通常の生活支出には使えないようにする必要もあり、いろいろな方面との軋轢が出来て破綻しそうですが。