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背徳のぐるりよざ 読了

自分にとって初めての古野まほろ氏の作品、読了。設定やガジェットや会話が自分のつぼにはまっており、楽しく読ませていただいた。終盤の論理ワールドもなかなかよい。その他の作品も手に取ってみたくなった。

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ここから先は内容に言及するので、本作を読むつもりのある人は読まないでください。

この物語の核心は正直族(絶対に嘘がつけない)の住んでいる村で、一人だけ普通の人(嘘でも本当のことでも、都合によって話別けることが出来る:以下ノーマル族とする)に変化して行動の自由を得た犯人に関して、その人物が正直族でなくなっていることを証明するというものである。

状況証拠から、ある人物が普通の人になっていることはすでに推定されている。あとは、この人物との対話を通じて、客観的(正直族である聴衆に納得できる形で)これを証明するかである。他の証拠類から、この人物がノーマル族と証明できれば、同時に犯罪を犯したことも証明できる。

以下、ともかく長文ですし、本作を読まないと決めた人しか読まないでください。

 

この核心部分について、自分の意見をメモとして書き残しておく。
まず、話の展開は以下の通り。
 
探偵をA(ノーマル族)、被疑者をBとする。
 
まず、Bを誘導して、純粋論理フィールドを設定する。
 
具体的には、ある物体の存在の有無に関する命題(命題Qとする)の真偽からなる論理世界を設定し、そこで論理上のキャラクターであるA’とB’を設定し、それぞれA、Bが演ずる。ここで、命題Qは、それがが真であるならば間接的にBの犯罪が証明されるという性質のものである。
 
A’とB’は正直族、嘘吐族、ノーマル族の何れかとする。これは全ての可能性を包含しているので問題ない。
 
物語中ではQに関する純粋論理世界を設定するとかいてあるので、本来、この論理世界での発話は命題Qに関するもののみしかあり得ない。
 
しかし、後段でA’およびB’はA’が嘘つき族かどうかのという命題についても発話しており、これが認められているので、A’の属性についての問いも、この論理世界で可能な命題として含める。この命題(A’が嘘つき族かどうか)をPとしておく。
 
会話は、以下の通り
A'の問: Qは真である。
B'の答: Qは偽である。
このパターンが数回。
 
A'の問: Qが真であるとC(故人)が言っていた。(これも命題Qの系統に含めて良い)
B'の答: それは偽である。
 
A'の問: Cがその発話をしたかどうかをC確かめたのか?(これも命題Qの系統に含めて良い)
B'の答: 確かめていない。
 
B': A'は嘘つき族だ。(命題Pの系統)
 
A': 私は嘘つき族です。(命題Pの系統)
 
会話終わり。
 
最後の発話から得られるのはA’がノーマル族であるということ。
 
すると、一つ前の発話(B':A'は嘘つき族だ)からB'は正直族ではない。またB'を嘘つき族と仮定すると、B'はA'が正直族であると発話していることになり、これは、A’がノーマル族という事実と反する。よってB'は嘘つき族でもない。つまり、B'はノーマル族。というのが物語中の展開。
 
しかし自分はここで違和感を感じた。最後の二つの発話は明らかに、全ての命題について常に嘘のことを言うのが嘘つき族という定義に基づいている。そして、この論理世界で真偽が問われるのは命題Qと命題Pのみである。よって両命題について全て嘘のことを言うのが嘘つき族になる。また、A'およびB'は全ての真理値を知っているわけではなく、自分に関することおよび経験したことあるいは経験から高い蓋然性で推測できること、以外は知らないと見なして良い。最後から二番目の発話(B': A'は嘘つき族だ)は、明らかに以前の会話の情報に基づいて行われている。すなわちB'がこれまで出てきた全てのパターンの命題Qを否定しているのに対して、A'が肯定していることから、A'は嘘つき族だと言っている。Qについては、これまでの発言から、今後もA'はQを否定し続けることが高い蓋然性で予測できるので、B'がA'は嘘つきだと判定しても問題は無い。しかし、命題Pについては何の発言もおこわなわれていない。するとB'は命題Pについての完全な情報を持っていないにもかかわらず、命題Pに関して断定的な発言をすると言うこと自体が、B'が正直族でないことを示している。命題Pは自己言及を含む命題であり、ノーマル族がいることを考えるとA'の命題Pに関する自己言及を聞かない限り、Pの真偽は不明である。具体的な可能性として、Qが偽であると仮定しても、「A'がQについて偽を述べておりかつA'は嘘つき族」、と言う可能性と「A'がQについて偽を述べておりかつA'はノーマル族」という二つが残る。
 
見方としてはBは正直族だが、うっかりしていてA'がQについて嘘ばかり言っているので嘘つき族だと決めつけてしまったという可能性もある。物語としては、こちらの方が説得的であり、上の論理でBを問い詰めたとしてもうっかりしていたとかわされてしまう可能性が高い。しかし、後述のように最終的な証明にはB'がノーマル族であることを使っていないので、命題Pに関する自己言及を聞かずに、Pの真偽について語るのは正直族としてはおかしいことを指摘しておいても良かったのではないだろうか。その結果得られるのは、上の会話はBの意図しない誤謬を含んでいるので、仮に得られていたB’はノーマル族であるという結論は真偽を判定できないと言うことになって、振り出しに戻る。
 
もしもB'がうっかり論をつかわずに、B'がノーマル族であることを認めてしまえば投了。ここで、演者とキャラの関係について整理しておきたい。ノーマル族であればどのようなキャラを演じても良いが、正直族は正直族の、嘘つき族は嘘つき族の演技しか出来ない。つまり、ノーマル族では演者とキャラは別物だが、正直族や嘘つき族では両者は同じ、一心同体である。
 
しかし、この物語の面白いところは、B’の属性など関係なく結論が出ると言うことであるそして、決め手となるのは聴衆からみて、Bが確認できていないことが明らかな命題について、B’が否定の発話をしている点である。Bが正直族と仮定すれば、あからさまに確認していないことを認めつつ、その命題について否定あるいは肯定をすることは、正直族の思考回路としてなしえず、そのため演じているB'(=B)の発話としても不定の発話をしなければならない。肯定あるいは否定の発話をした段階で、正直族の可能性は消える。
 
つまり、
A'の問: Qが真であるとC(故人)が言っていた。
B'の答: それは偽である。
 
A'の問: Cがその発話をしたかどうかをC確かめたのか?
B'の答: 確かめていない。
 
からBは正直族でないことが証明できる。このやり方のこすいところは、ノーマル族であれば自分の犯罪の証明でもある命題Qについては、ともかく否定したくなること。一部だけ分からないとは答えにくい。しかし、十分に頭が回れば正直族のシミュレートをして不定の答えをするはず。なにせもともと正直族からノーマル族に転向したのだから、シミュレートは容易なはず。
 
以上の証明で、AがBを落とせるかどうかは、Bが正直族のシミュレートを忘れてしまうかどうかにかかっている。
 
よって、論理的に確実にBを追い込める状況を作ったわけではない。Bが気づいてミスをしなければ、追い込めない。
 
ただ、BがBの犯罪の証明でもあるQを否定することに気を取られる状況を設定することで、正直族の思考形態をシミュレートすることの重要性に気が行かないようにするという罠はかけている。
 
不満なのは以下の3点。
 
探偵が論理世界を設定設定する時に、その境界が明確に示されていない。命題Qについての論理世界と言うことでスタートするが、途中で命題Pが加わっている。また論理世界を設定すること自体に唐突感があって若干のめり込みにくい。
 
B'の属性については結局証明に全く関係が無いのに、その議論が長く続く。そのため、この罠の面白い点が強調し切れていない気がする。
 
Bがミスをしなかった時には打つ手がない。Cに確認したと嘘をつかれるだけでも対応できなくなる(追記:これは出来ないように命題Qが作ってありました。私の思い違いです。)論理だけでは詰め切れていない。(上では説明していないが、上と同様の会話がもう一度繰り返されており、そこではある命題を一回否定するだけで、BはAを嘘つき族と決めつけている。その思考形態が正直族とかけ離れていることを指摘しても良かったのではないだろうか。)
 
素晴らしいと思った点は
 
ノーマル族であることを証明するのに、答えが不定の問いをして、それを否定させるという論理。これはなかなか思いつかない。
 
その問いが、CがQを肯定していたという間接的なものになっていて、ノーマル族では混同してしまいやすい形に落とし込んである点。
 
さらに上の論理をきちんと決めるために、BにCには確認していないことを発話させている点。
 
別途王手につながるQについて議論しつつ、実は上の不定の問いを狙っていると言う点。カモフラージュとういか陽動作戦として素晴らしいと思う。
 
その他:正直村の存在を納得させる歴史設定はかなり作り込んでいると思うが、周辺に色々と綻びがある。普段、一つでも矛盾があるとだめな事ばかりやっていると、少しの綻びでも気になって仕方が無い。まあでも、本格ミステリーというのは、そういうところがメインディッシュではないのだから、極力気にしないようにしなければならないとは思う。