乗車日記

自転車ときのこ

トゥキディデス歴史(上) 読了

ペロポネソス戦争の前半10年。開戦に至る経緯のところは、開戦前年の紛争の外交交渉の話の間にペルシャ戦争以来のいきさつが時系列ではなく挟まっているので若干理解しにくい。年表もないので自分で書き取って作る必要があった。
 この本の魅力は収録されている演説の数々。印象に残ったのは、開戦を協議しているペロポネソスの会議でアテナイ使節が語った言葉。「ペルシャの脅威に対抗するには誰かが支配権を握らねばならなかった。そしていったん引き受けた以上、対面と恐怖と利益にとらえられそれを手放せなくなった。他国が同じ状況になれば同じ結果か、あるいはよりひどい支配が行われたであろう。」
 もうひとつは開戦二年目のペリクレスのもの。曰く、「平和裏にこの支配権を手放すことなどすでに出来ない。手放しととたんに他を支配して買ってきた恨みが降りかかってくる。」「支配者となるなら世の人の憎しみとねたみは避けられない。それを支配者となるにはそれを甘受する決意が必要である。」
 良い悪いというものを越えて、現実主義でありながら、一般理論になっているところに凄みを感じる。前半の後期にスパルタ側の主導権を握ったブラシダスの評価が「ラケダイモン(スパルタ人)としては話が非常にうまかった。」「ラケダイモンとしては活発な正確であった。」などと書いてあるあたりにアテナイ人としての弁舌と先取の気風に関する自信が感じられる。
 最も衝撃的だったのは、開戦4年目にデロス同盟から離脱したレスボス島のミュティレネ市が次の年に降伏したとき、その住民を皆殺しにするべきかどうかがアテナイ議会で討議されていたこと。激しい議論が行われ、ぎりぎりのところで中止の決議が出たが、それでも主導者2000名を処刑したとのこと。独裁体制でもない自由な人々の討議でこのようなことが議論されるというのが、恐ろしい。そのほかにも、この頃になると各都市内部の政治抗争とアテナイラケダイモン間の戦争がリンクして、内乱と敵対派の大量処刑が頻発している。トゥキディデスは全体を通してほぼ客観的な事実のみを述べているが、この部分に関しては戦争の長期継続に伴う理性の麻痺、倫理の喪失、そして人を信じないことがまず生きることの基本原則という異常事態の展開を分析している。
 上巻は、アテナイペロポネソス両方の主戦派のリーダが戦死し、戦いに倦んだ人たちがようやく50年の休戦協定を結んだところで終わっている。しかしこの上さらに戦いが続くのだろうか。