乗車日記

自転車ときのこ

ヒトラー演説 熱狂の真実 読了

この本の一番の特徴は、言語学者である著者がドイツ語原文に当ってレトリックの構造を分析している点、そして手に入る限りの演説原文をOCRにかけて電子データ化した上で、出現単語の頻度解析を行っている点、さらには音が残っているものについての周波数分析など。言語解析に関しては大変客観的で、精度が高い印象を受けた。

まず、レトリックに関しては、対比による強調、音や語の繰り返しや並列表現、そして反論を先取りして反駁しておく等々などは、自分も使っている気がする。極端な誇張形容、曖昧表現、2分法による選択肢の限定、無理矢理な仮定を置いて結論を導く、等々になると明らかに、聴衆の心を誘導する弁論術と言える。弁論術としての完成度は高く、これらを早期から身につけていたとのこと。しかし、技術だけであれば訓練を受ければ、ある程度身につけることが出来るものではないかと思うし、現代の政治家であれば誰もがやっていることだろうと思う。

また、政権掌握前年の1932年にオペラ歌手による発声の訓練および、身振りや、演出の指導が行われていたとのこと、また、1920年代後半にちょうどマイクとアンプとスピーカーによる音声拡大機器が実用化され、大会場の隅々、そして会場外にまで声を届けることが出来るようになり、そしてそれらの機器を縦横に活用したことも1932年の選挙での勝利に繋がったとのこと。直接的には完全に無害な技術であっても、結局は使い方次第というところか。

最も印象に残った点は、ヒトラーの演説が人々を熱狂させたのは1932年の政権掌握までであり、政権を取った後、ラジオ放送や映画などのメディアが使えるようになり、宣伝省を作り、また、国民受信機なる格安ラジオまで売り出したものの、演説を聞くことの強制が反感を買ったこと、1939年以降はそもそも誰も戦争を望んでいないことなどから、演説の効果は薄れていったとのこと。このあたり、情報源が1938年まではチェコに亡命した社会民主党の機関誌、それ以降は親衛隊保安部の報告書と途中でソースが変わっており、かつそれぞれの期間は単一情報源のデータの分析なので、もう少し他の本も読んだ方が良い気はする。

いずれにせよ、演説の技術だけで嫌がる人を操ることは出来るはずもなく、ベルサイユ条約の重荷とそれを何とも出来ない政府を経験してきた人々が、単純明快な解として、分かりやすい敵、そして強い力を望んだからこそ、政権掌握前のヒトラーの演説が効果を発揮したのだろうと私は思う。

頻度解析に関しても、ナチ党が政権を掌握する前の数年間の時期では、その前の時期に比べてユダヤ人という言葉が減っていたり、1920年代前半は「我々(wir)」が多かったのが、1932~33年の選挙中と1936年以降は「私(ich)」の頻度が高くなっていることなど、精密な分析がなされていた。著者は、このあたりの解析に特化した論文も書いておられると言うことなので、機会があれば一読してみたい。

意外だったのは親衛隊保安部の報告書で、「演説はもう沢山だと国民は言っている」、とか「プロパンがだ文書は紙の無駄遣いだと国民は言っている」などと書いてあったと言うこと。実際の所、報告書を書いている者達もそう思っていたので、調査結果に仮託して書いたのではないかと想像してしまった。

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