乗車日記

自転車ときのこ

太平記(二) 読了

太平記(二) 読み終わりました。巻九から巻十五。この間わずか二~三年ほどに、六波羅滅亡、鎌倉滅亡、建武の新政の開始、中先代の乱護良親王の殺害、新田義貞による尊氏討伐にその逆襲で京都占拠、そして北畠顕家の長征に、尊氏の九州への逃亡と、どんでん返し続きです。

 まず、気になったのは丹波篠村の八幡宮の逸話。現地には楊の木があり、それを目印に軍勢が集まった云々ということが看板に書いてあったのですが、この版にはその記述はありませんでした。ただし、矢を奉じたという逸話はありました。(現地に矢を奉じた塚が残っています。)

 それから、武将達の活躍に比べて、後醍醐帝といえば、その政治の駄目さ加減が強調されているのが目立ちます。これを通しで読んで、皇国史観や皇室への忠節の心などの養成に繋がっていたのかどうか、結構疑問な気がしてきました。しかし、この本が近世から近代にかけて日本を動かしたある種の考えの元になっているのは確かなのでしょうから、これから先の巻で楠木正成が討ち死にしたりするあたりで、そういう雰囲気になってくるのだろうと思います。

 もう一つ気になったのが、北畠顕家の扱いの低さ。陸奥国から長躯してきて、京都で尊氏と戦うというのは大変なことだと思うのですが、なんと巻十五で京都に入った将軍尊氏方と三井寺で決戦というところになって、初めて北畠の名前が出てきます。私が忘れているのかも知れませんが親房も顕家も、ここに至るまで一文字も出ていません。それに、洛中合戦の当たりだけ出てきて、その後また話から消えています。北野天満宮の縁起、俵藤太の百足退治と三井寺の鐘の話や、三井寺戒壇やら頼豪阿闍梨の話などは延々と書いてあるのに。。。よく知りませんが、北畠家太平記成立の時点でも足利幕府と敵対してたので、そのへんで扱いが悪いのでしょうか?

 色々興味が尽きないわけですが、解説によると平家物語のパロディ的な記述も多いとのことで、本書を読み尽くすにはあちらもきちんと読んでおく必要があるようです。まずは本を取り寄せなくてはなりません。

f:id:tasano-kona:20150223212322j:plain