乗車日記

自転車ときのこ

異神 下巻 読了

十年越しで異神 下巻も読み終わりました。宇賀弁財天と牛頭天王を扱っています。和文の祭文と祭りの分析が中心の牛頭天王のパートは割にすんなり読めました。牛頭天王祇園祭のおかげで親しみを感じていましたが、本来は相当に恐ろしい疫神ですね。津島天王社の津島祭り、葦に移した疫神を天王側に流す際には、町中全ての家が寝ているのを確かめた上で、何重にも護身法を施した太夫と補佐の神官二名のみで船で運んで川に流し、その後は後ろを振り返らず、来たときと違う道を通って神社に戻るとのことです。儀式の次第から恐怖感が伝わってきます。
 宇賀弁財天のパートは漢文の修義・記録・偽経で手こずりました。延々と修法が分析されているところもあり、何度も挫折しかけましたが、おかげで修法の実際に少し触れることができました。しかし、自分には梵字も分からないし、法具のもつ意味もわからない、仏教教典の神々もいい加減にしか知らないし、なかなか頭に入ってきません。さらに顕教密教の修法の違いとなるとさっぱり。そもそも修法というのは密教のものかと思っていました。もっといろいろなことを知らないと。。。
 それにしても異神達の多層的・多義的で矛盾をものともしない世界は、普段、仕事柄、勝手な解釈が出来ないように注意して文章を書いている人間からすると全く異なる世界で、このようなものを生み出してきた中世の人々の縦横無尽な連想能力は大変興味深いです。そして、これらの異神にまつわる偽経や祭文や儀式を作った人達はどこまで意識的に仕掛けているのか、それとも夢見などで意識せずに作り上げているのか、次はその辺りのことも知りたくなりました。
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