乗車日記

自転車ときのこ

このところ読んだ本


看聞日記の世界。義持から義教あたりの時代を生き、南北朝の争乱に巻き込まれて(尊氏と弟直義が戦った観応の擾乱の時に、祖父の崇光天皇南朝に連れて行かれてその間に廃位)一旦は皇統からはずれたものの、最後には自分の息子を後花園天皇にすることができた伏見宮貞成親王の日記を解説した本。義教が暴君というのは知られた話だが、義持も結構怒りに任せて公家の所領を没収したりしている。あと、洛中の噂として、洛中の火事は愛宕山の天狗が火をつけているという話が出ていた。愛宕山は霊験あらたかなので火事にならないのかと思っていたが、室町時代に人の理解は違ったようだ。それにしても太平記も含めて天狗の頻出には驚く。源氏や今昔では今ひとつ姿の見えない怨霊だったりするものが、憑座を用いずとも現実化している。姿形ができたことで、少しは神ならぬ身人の身でも対抗できるようになったのだろうか。


南朝研究の最前線。各地に残る南朝の発給文書の花押(サイン)から、南朝の官僚組織を時代ごとに再現するなど極めて実証的な歴史研究の成果を紹介してくれる本。時代を追うごとに人材が薄くなっている様子が悲しい。一方で、太平記は虚構が多いのを知りつつも、それに頼らないとなんともならない分野もあるようで、客観的歴史研究の難しさを感じた。
また、後醍醐帝の父の後宇多も退位後ではあるが、伝法灌頂を受けているなど網野善彦先生の本で議論されていた異形性についても異論がある状況であることを知った。他にも、新田氏が太平記以外の世界では足利氏の一族だったり、楠氏が得宗家被官の可能性があるなど色々と驚くような研究成果が出ているらしい。


高師直。こちらも軍忠状や執事施行状などの現存する書類を元に、高師直について議論した本。上の本の一部と重なる。


太平記四。龍安寺の西源院に伝わる太平記の巻二十三から二十九まで。西源院本は江戸時代初期に一般に出回った流布本とは違う写本で、これに対して岩波日本古典文学大系を含め現代の殆どの出版品は流布本らしい。後述するように、幾つかの印象的な箇所がなく、個人的には大変驚いた、


太平記<よみ>の可能性
20年ぶりに再読。兵藤先生、よく見たら上述の最近岩波文庫から出た西源院本の校注者だった。前述のように、以前に岩波日本古典文学大系で読んだ太平記流布本(江戸時代初期に校注されて出版された本)との違いが、個人的には気になっている。この<よみ>の可能性の序論に紹介されていた巻二十六四条畷の戦いで楠木正行高師直(実は影武者)の首を取って、何度も投げ上げて悦ぶという異様なシーンが、より古いとされる西源院本にはない。
また、小松和彦先生の妖怪の本で紹介されていた、巻二十七雲景未来記の大魔王と化した崇徳院や後醍醐帝が愛宕山で国家転覆の謀議をしているシーンも、西源院本では悪魔王の親玉たる金色の鳶の姿をした崇徳院が現れないし、そもそも大魔王の謀議であることが明かされるのが最後であるため、なんだか迫力がない。
まあ、人々の意識を動かしていたのは広く流布していた写本なのだろうから、流布本を使っての議論は正しいのだとは思うが、個人的にはこの辺りの挿話の印象が大きかっただけに、西源院本にはないという事実にちょっと驚いた。<よみ>の可能性で議論されていた複数の太平記の起源(室町幕府の正史および平家物語と同様の「語り」としての系統)についてもっと知りたいところだ。
それから国文学と歴史学のずれも気になる。「南朝研究の最前線」では兵藤先生の本・論文は一つも参考文献に上がっていなかった。「人々がどう受け取っていたか」と「実際どうであったか」という視点の違いがあるのだろうが、本当のところどちらが歴史というべきものなのだろうか。客観的には後者なのだろうが、未来を動かすのは前者。太平記の時代の人々は平家物語のイメージに動かされてきたし、明治維新も後醍醐帝と楠氏の関係のイメージによるところも多い。太平記は大戦前の天皇と臣民の関係にすら影を落としている。そして先の大戦を巡る様々な現代における議論も、一つには客観か主観か、あるいは過去の事実は信じるところによって決まってしまうという辺りのことが根っこにあるのではないかと思う。