乗車日記

自転車ときのこ

1812年の雪 読了

ファンドーリンと五色の虹からのロシアつながりで積んであったナポレオンのロシア遠征の本を読んだ。
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このテーマは以前に「補給戦」および「コレンクール将軍回想録」でも読んだことがある。
それはともかく、本書の特徴は「ブルゴーニュ軍曹の回想録」の抜粋その他、生き残った人たちの言葉を多く紹介している点。ブルゴーニュ軍曹は近衛兵としてロシア遠征に参加し、生きて帰ってきた人。40万人以上が侵攻して、軍隊の体をなして帰ってきたのが5千人というから、余程の事だ。
コレンクール回想録では逃亡した兵が多いような印象を受けたが、それはどうもボロディのあたりまで。この時点で12万人まで減っている。市民の殆どが脱出してもぬけの殻だったモスクワでは略奪し放題で、金貨やら銀塊やら毛皮やらを誰もが大量に仕入れていたが、ロシア側は無視。冬が迫る中、ペテルブルクに進軍するわけにもいかず、10月19日なってから撤退。これからが酷い。零下20℃、30℃の夜もあり、建物を見つけられなかった兵たちがどんどん凍死して行く。勿論馬も、民間人も。ともかく酷い。
そんな中で、上記のブルゴーニュ軍曹がポーランドの農家に世話になって、モスクワでの略奪品を気前よく振る舞う話は唯一心休まる。そんな恐ろしい寒さの中でも、家や服がきちんとしていれば暮らしていけるというのにも驚くが。
最後のベレジナ川に工兵隊400名が流氷も漂う極寒の中、泳いで入って仮設橋を架ける話は悲壮だ。この仮設橋のおかげで数万人が助かったが指揮官エブレ将軍を始め多くの工兵が肺炎のため亡くなったという。
ともかく、心が凍りつくような話が殆どだが、この敗戦をフランス国内で知らせる大陸軍広報第29号の最後が「皇帝の健康は最良の状態にあり」で終わっているというのは更に恐ろしい。
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