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乗車日記

自転車ときのこ

臨床真実士 ユイカの論理 読了

人の語る言葉の論理的真偽と語っている本人の主観的な嘘実がわかるという探偵のお話です。
この本、仮言命題の真理値と言うのが取っ付きにくくてしばらく積んであったのです。仮言命題というのは「もしもAだったらBである」という文全体が真かそれとも偽かという問題です。「私が人間だったら、私はいつか死ぬ」と人間が言っていたらそれは真。これはわかりやすい。でも人工知能が同じことを言っていたら、そもそも最初の「私が人間だったら」が偽になるわけです。この時、論理学の規則では最初の文が間違っていたら、後半の文が何であれ、文全体は真ということになっています。日常的な感覚では最初の文が間違っていたら、文全体の答えは判定しようがないというところだと思いますが、それが仮言命題というのでは違うのです。まあそれも放送大学記号論理学講座全15回を巻き戻しながら見るうちに洗脳されてきて、普通に思えてきたところで読みました。

言葉の客観的真偽と主観的な嘘実がわかれば、謎などすぐ解けるのではと思いきや、これが複雑に絡まっている場合なかなか難しいのです。それは記号論理学の講義を聞いていても感じていたところです。そして、論理的に導き出される答えが、実際に何を意味するのかという解釈、これも難しいのです。

ところで、この本、読者への挑戦がある本格ミステリーです。そして、言葉の客観的真偽と主観的な嘘実がわかるという設定は、読者と著者の感覚の違いに依存する解釈のばらつきを、核心的な部分で避けることができるため、フェアな挑戦の前提となる情報を両者が共有する上で非常に有用な試みではないかと思います。特に、語りの客観的真偽と主観的な嘘実を両方提示するという点が秀逸です。物語を読み解く時に、この二つの境界が時として曖昧になって、アンフェアな感じを受けることが多いからです。このあたり、著者の古野まほろ氏が以前に正直人で構成されている村で起こった犯罪という設定の「ぐるりよざ殺人事件」での試みの、さらなる展開・挑戦と感じました。