乗車日記

自転車ときのこ

読了 坂東の成立、国語教育 混迷する改革

本当は平将門の話を読みたいのですが、それまでの東国のことがさっぱりわかっていないので古墳時代奈良時代と読み進めています。

こおり、評あるいは郡、が地方運営の要で、割ときっちりと運営されていたようです。一番印象に残ったのが、相模国平城京出張所(納税の時にの一時保管所)の場所を、東大寺に請われて変更する際の手続きが残された文書。出張所から相模国府へ伝えられた後、8箇所の郡に伝えられ、それらの意見が国府で集約された後、出張所に連絡があり、それを持って売買契約。見る限りはちゃんと機能してますね。平安時代の、受領になって絞れるだけ絞るみ、たいなイメージとは随分違います。


国語教育の方は、入試改革の件と論理国語の件などを詳しく知りたかったので読みました。

帯にもあるように、入試の方だけでなく、国語カリキュラムの全体的な見直しが進んでいるわけです。私は大学4回生に至るまで、テクニカルライティングの系統的な教育を一度も受けたことがなく、その歳になって「理科系の作文技術」という本を読んで衝撃を受けた人間ですので、テクニカルライティングを国語に導入すること自体は賛成です。
 ただ、いま進んでいる改革はやりすぎのようで、4単位、つまり週4時間を1年間分、も「論理国語」を入れる予定だそうです。週1時間ぐらいでいいでしょうという本書の主張には賛成します。また、同じ「論理国語」に入っている、「同じテーマについての複数の論理的文章を読んで批判的に検討する能力」などは、本書は学者になるわけではないから不要という主張ですが、私は偽情報に溢れかえっている世界で生きていくには必要な教育かと思います。もっと踏み込んで非論理的文章、欺瞞的な文章、誘導的な文章まで含めて積極的に読んで、何がおかしいか考える事までした方が良いかと思います。
独創的な文学的文章を書けるようになったり、文芸批判をできるようになったりすることを目指す「文学国語」4単位というのも、確かにやりすぎだと思います。そもそもそんな指導は無理ですし、そんなことができる人が何十万人も必要とは思えません。それよりも小説をもっと細やかに味わうことができるように、一つ一つの作品を深く読むような授業、そちらの方が重要だというのも肯けます。