乗車日記

自転車ときのこ

もう二週間

年明けからもう二週間も経ってしまいました。
元旦は初日の出を見てから神戸の実家に帰りました。


おせちセットに先日読んだ出雲国造千家尊福さんの歌が入っていて驚きました。

二日は五色塚古墳と今城塚古墳を見学しつつ帰宅。

五色塚古墳は実家の近くにあるので、子供の頃からよく登っていましたが、改めて南の端から見るとかなりの大きさです。残念ながら事務所が休みで、この日は登ることができませんでした。ところで、この歳になって日本書紀を読んで初めて知ったのですが、この古墳、神功皇后仲哀天皇に関わるものと記述されているんですね。神功皇后の海外遠征の直前に仲哀天皇が亡くなって、神功皇后は自ら兵を率いて海外遠征に行き、応神天皇(になる御子)を生んで帰ってくる。それを仲哀天皇の御子二人(神功皇后とは別の女性との間の子供)が明石海峡で迎え撃つため、兵を集める口実として作らせていた偽古墳と明確に書いてあるんですね。偽古墳と書いてあるので陵墓には指定されず、おかげで再整備したりできるわけです。それにしても地元なのに全く教わったことはなく、正月に妹に話したら彼女も知らなかったと驚いていました。皇国史観の反動でこの手の話は公教育の場には上がってこないのは分かりますが、地元の自分が全然知らないというのも不思議というか情けないというか。

今城塚古墳もほぼ継体天皇陵らしいのですが、別の古墳が陵墓指定されているおかげで発掘されています。高槻駅からなかなか交通の便が悪く、結局歩いていきましてついた頃にはもう日も傾いていました。


この古墳は壕が整備されているだけなので、墳の部分は木の生えた小山です。自宅近くの天皇の社古墳というのも同じような雰囲気。古墳というのは当時から作った後はほったらかしだったらしく、権力者の墓が幾世代を経て自然に帰って人々が遊ぶ公園になっているというのは感慨深いです。延々と残る石の巨大建造物などよりも、こちらのほうが良いのかもしれません。



この古墳には埴輪の再現模型がありまして、実はこれが目当てでした。力士みたいな人とか巫女みたいなひととか、白鳥とか馬とか家とか、見ていて飽きません。でも暗くなってきたので退散。高槻駅まで走っても30分以上かかるので割と訪問するのが大変ですが、付設の資料館が閉まっていて見れなかったのでまた来たいと思います。今度は自転車かな。

翌三日は愛宕山登山。徒歩です。6名。


行きは空也の滝をみて、月輪寺経由。帰りは表参道。



帰りの途中にケーブルカーの駅の跡があるというので見てきました。営業は戦前までということなので、もう70年以上経っているのでしょうか。一大観光地だった時期があるんですね。
この後、清滝まで降りて、トンネルを歩いて化野を通り、嵯峨のモーリーさんの家で宴会をしてから帰宅。慣れない下りがきつくて脚ががたがたになりました。

四日は大阪方面から自転車仲間 のMBさん達が遊びに来てくれて、西方面ライド。


良い天気で、久しぶりにゆっくり走れました。

昼からは読書。翌日も脚が痛くて一歩も家から出ず。

読書に関しては、結局休み中は強化学習の本と深層ベイズ学習の本で時間を使ってしまいました。あと「給食の歴史」、「風土記」、「かくれ里」。



想像しているほど速くは読めないものです。
かくれ里で白洲正子さんが訪れている場所は京都近郊が多くて、自分が自転車で通る場所と重なっている部分が多いのに驚きました。中でも、いつもの西山の狸の茶室のいわれが書いてあったのは大収穫です。

今週は仕事で一杯いっぱい。昨晩も帰りが遅かったので、今朝は早朝ライドには参加できず。9時ごろ起きて、10時ごろから近くの山に行ってきました。


雨がぱらついてきたので早めに退散。パンクしていたロードレーサーのチューブ交換も済ませたので、あとは読書三昧です。