乗車日記

自転車ときのこ

神楽岡

昨日見に行った鍵善の美術館には、木漆工芸家の黒田辰秋氏の作品が多数展示されていました。鍵善さんのお菓子の箱とかを色々と作っておられたらしい。
それで黒田氏は柳宗悦氏や河井寛次郎氏や上賀茂民藝団の立ち上げに携わっていたそうで、コロナになる前は毎年陶器を買いに行っていた上賀茂の民芸館の階段箪笥などは、実は黒田氏の作だったのかもしれない。実は新々堂のテーブルもそうだとか。
その関係で辿っていくと、柳宗悦氏が関東大震災の後に一時期京都にいらっしゃった時、吉田神楽岡町3に住居を構えておられたことを知った。これはなんと、私の下宿していたアパートのすぐ近くで、それも通学路。時代は全く違いますが、不思議な気分です。

ところでその通学路の左側に黒住教の宗忠神社というのがあったわけですが、それを思い出してふと字が似ているなと思いました。
何か関係があるのかと思って調べてみると、柳宗悦氏の父君の柳楢悦氏が、東京教会と関係があったようです。
http://www.kurozumikyo-tk.com/kyokaisho.html

うーむ。必然なのか偶然なのか。柳宗悦氏が京都で神楽岡におられたのは必然、名前の宗の字も必然、しかし関東大震災は偶然。
私が神楽岡に住んだのは、受験の時に岡崎通あたりのホテルに行くつもりで、道を間違えて迷い込んだのがきっかけだから偶然です。ただ、その時の地図は私の記憶によると、岡崎通りと神楽岡通が真っ直ぐつながっているようなような変な地図でした。ちなみに、山口晃氏の京都百景の子安観音は、その時通った今出川通の途中にあります。なんだか色々繋がって面白いものです。