将軍家茂が死去してから、慶喜が4ヵ国の公使と会見するあたりまで。
第二次長州戦争で幕軍がぼろ負けしてやばいというときに、すかさず朝廷から休戦の宣旨を出させるあたりからして慶喜さんはかなり切れ物ですね。それにフランス公使ロッシュはともかくとして、かなりネガティブな先入観を持っていたイギリス公使のパークスも慶喜と会見した後、べたべたに褒めています。慶喜さんのことをもっと知りたくなりました。
それにしてもサトウ氏、大阪城にかかっている三十六歌仙の絵を次々とパークスに説明していたとか。驚くべき才能です。自分ももう一度崩し字に挑戦しようかな。