乗車日記

自転車ときのこ

天神川

幕末の京都の地図を調べていて、川の流れが現代と大きく違うことが気になっていました。
立命館大学アートリサーチセンターの近代京都オーバレイマップ(https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/ModernKyoto/)の明治25年の地図を解読していくと、なんだか西小路あたりを流れています。
解読というのは、地図がモノクロなので道や土手や御土居や川が入り乱れると訳がわからなくなるのを、よく見て選り分けていくことを言っています。日文研の改正京町繪圖細見大成
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002813384が役に立ちました。

解読結果は次の図のような感じ。
f:id:tasano-kona:20220303233424j:plain
丸太町の南で西に流れを変えるのは今もそうなのですが、すぐに南下して三条通で西にシフトし、西小路通を南下、阪急を越えるあたりで一筋西にシフト。そして七条通りで大きく東にシフトしてから佐井通を南下。えらく直角に曲がるところが多いです。明治になってからの工事かとも疑いましたが、1841年辺りの改正京町繪圖細見大成でも確かに三条と七条で直角に曲がってます。阪急を越えるところの急に曲がっているところは明治になってからのものかも知れません。

実地調査もしてきました。七条通りの一部が異常に広いのが前から気になっていたのですが、どうもここが天神川が東進していた部分のようです。
f:id:tasano-kona:20220303234151j:plain
その東の橋で天神川南に折れていたであろう痕跡を見つけました。
f:id:tasano-kona:20220303234237j:plain
f:id:tasano-kona:20220303234242j:plain
f:id:tasano-kona:20220303234250j:plain
電車の車止めのように川が切れています。南に曲がった後は現在は西高瀬川。この辺り、割とよく通っているのですが、これまで全く気がつきませんでした。

さらに旧天神川というのも見つけました。旧というのは幕末以前ということになります。
f:id:tasano-kona:20220303234532j:plain
しかしこの旧天神川、明治や大正の地図にはあまり痕跡がありません。そもそも三条通で西進するのは、西院村に突き当たるのを避けるためと予想できますが、七条通りで東進する理由がよくわかりません。天神川がどういう経緯を辿ってきたのか、もっと調べてみたいです。