オホーツク文化展が3月20日までと知り、慌てて南大阪へ。近つ飛鳥というのは難波宮か堺あたりからみて近い方の飛鳥ということらしい。いわゆる奈良の飛鳥村は遠つ飛鳥。アスカとはどういう意味なのかはよく分かっていないようです。
でも平安京からは全然近くない。阪急で淡路乗り換えて堺筋線、動物園前で御堂筋線に乗り換えて、阿部野橋で近鉄南大阪線に乗る。上宮太子駅が最寄りですが、藤井寺で降りてぶらぶらしながら、ブロンプトンで移動。
駅近くの辛國神社の参道がなかなか良い感じです。
その向こうに仲哀天皇の古墳があったので見学。
神功皇后のイニシアチブが圧倒的で、影の薄い仲哀天皇ですが、御陵は結構大きいです。
その東側に船状の建物がありました。
地域交流館のようです。ここで一休みしてから、藤井寺を見学。
さらに、古市に向かって移動し、応神天皇陵を見学。
盛り土の体積では仁徳天皇陵を超えるそうで、もはや山にしか見えません。
ここから古市の駅前で近鉄の線路をこえ、石川を越えて竹内街道に入ります。
竹内街道は堺と奈良を結ぶ主要道路だったそうで、そもそもは推古帝の頃に整備された道だそうです。古い建物が沢山残っていて、素晴らしい光景です。
上宮太子駅で南に降りてまた延々4kmぐらい走って、博物館に到着。
はっきり言って、駅から歩いて行くのは不可能なぐらい遠いです。
安藤先生設計の建物。物凄いインパクトがあります。魍魎の匣かと幻視しました。
中に入って、まずオホーツク文化展を見学。
オホーツク文化というのは5世紀から10世紀ぐらいまで、北海道の東側で続縄文文化や擦文文化と共存していた漁労中心の文化で、カラフトから千島列島、道東に至る領域で活躍していたそうです。骨器が多いのはなんとなく知っていましたが、本展示で土器も色々作っていて、また熊の頭蓋骨を住居の奥の壁に並べる習慣があったことなどを知りました。
その後、常設展示を見学。仁徳天皇陵ジオラマと、藤井寺で発見された日本最大の修羅が圧巻です。
修羅というのは重い石棺などを移動させるときに使うソリのようなものですが、この修羅はなんと全長9メートル、重量3トンもある巨大なもの。枝分かれしたアカカシの木を使って作られているそうです。石棺の前に、この修羅を作るだけでもとても大変そうです。
漆の耐久性は1万年とか聞いていましたが、確かに全然劣化していないように見えます。
蛸壺がずいぶん小さい。イイダコ用でしょうか?
この鳥の羽の生えた兜、これまで見たことがなかったです。
塔の部分の中身は空っぽでした。
ここで思い立って、二上山に登ることにしました。折口 信夫の小説で、中将姫が西方浄土を幻視したというあの山です。
登山口までブロンプトンで移動し、そこから登山。
石切場後。
いくつもの石棺が切り出されたそうです。
そもそも二上山はサヌカイトを産出するということで、旧石器時代から打製石器の石材の原料地として重要だったとか。行きそびれましたが、日本には珍しい岩窟寺院の跡もあるそうです。
私が見たのは別の岩屋。ここで中将姫がかの曼荼羅を織ったという伝説もあるそうです。
二上山雌岳頂上。奈良川も大阪側もよく見えます。
帰りは、竹内街道資料館を見学してから古市まで走り、そこで近鉄に乗って阿部野橋へ。
ついでなので前から見たかった口縄坂に行きました。
「燃えよ剣」で土方歳三が恋人と最後の逢瀬をする場所です。
小説の口絵と全然違いましたが、良い感じの場所です。ビルがない頃は大阪湾に沈む夕日が見えたのでしょう。
このあと、長堀橋まで走って電車に乗って帰宅。盛り沢山の一日でした。