乗車日記

自転車ときのこ

長距離ライド

昨日は小径車でブルベ*1に参加するという企画にお誘いいただきまして、ブロンプトンで200kmを走ってきました。アップダウンの大きいコースでしたがなんとかなるものですね。ポジションを変えにくいので、平坦地ではDHバーが欲しい所ですが。
和束の茶畑で1箇所だけ、手積み用の整形されていない畑があったのが印象的でした。(写真は撮り損ねましたが。)新茶が出る頃に買いに行きたいものです。
最後に守山から帰りの電車にのってやれやれかと思ったら、高槻で事故があったということで京都駅から先に進まなくなってしまい、京都駅からさらに走って帰宅しました。
ご同行いただいた皆様、ありがとうございました。







*1:長距離サイクリングイベント:https://www.audax-japan.org/brevet/about_brevet/

読了、ブッダという男。

現代の理想の投影をやめて、初期仏教徒ブッダをどのように理解していたのか、そして古代社会の制限を認めた上で何が先駆的であったのかなどを分析・議論している本。人の全体を統括する我はないという点は受動意識仮説と共通し、自分の考えと一致する。しかし、無我でなぜ輪廻し得ると言えるのかをまだ理解できていないので、もう少し本を読んでみようと思う。

読了、世界哲学のすすめ。

読了、世界哲学のすすめ。ギリシャに始まる西洋哲学だけが普遍という考え方を超えて、様々な地域の言語・歴史・文化・生活に根ざした哲学も含めて普遍性を追求する試みの開始を告げる本。この本の中でubuntuがアフリカ哲学の根の一つであることを知った。ubuntuでは真理を生き、時間を生きるらしい。そもそもこの本を手に取ったのは以前に「存在と時間」を読んだ時に随分be動詞に依存しているなと感じたことへの答えがあるかもしれないと思ったから。安直な答えは得られなかったが、思考の言語依存性について問題提起がされていた。その象徴がミリンダ王の問い。アレクサンダー大王の建設した東方ギリシャ系王国の王、ギリシャ哲学の徒ミリンダと、北西インドの仏教僧ナーガセーナの問答。魂が存在するのかしないのかの問答などが繰り広げられるが、そもそも訳語の問題で議論に混乱が生じていると思われるそうだ。スリランカに残るパーリ語本と漢訳本を照らし合わせると色々と見えてくるらしい。このあたり、まだ自分では咀嚼できていないが、本書の著者が編集している世界哲学史も購入したので、他の部分も含めてぼちぼち勉強していきたい。