77年アグリコラ、執政官を務める。
79〜83年ブリタニア北方遠征
遠征と言っても、基本は服属しない部族や反抗した部族の居住地を襲って略奪等を行い、支配下に入れる。たまにリーダーが出て、ローマ軍と正面切って戦えるぐらいの戦力を集めてきた場合は会戦と言う感じ。タキトゥスの筆致は、ローマ軍の栄光、その結果の文明化を称えつつも、其処此処に否定的な雰囲気も挿入しており、彼我の双方に思考の範囲の広がった懐の深さを感じる。
タキトゥスがカレドニア(今のスコットランド)での決戦前の現地人リーダーの演説の形で語らせているところは、世界を征服せんとするローマの貪欲に対する告発と奴隷隷属の拒否。このような本が長く伝えられているということは、元老院議員を含む構成員の考えが征服・文明化一辺倒ではないということだろうか。
あと思うのは、ギリシャ・ローマ史における演説の重要性。重要な場面においては必ずと言っていいほどリーダーの演説が記述される。演説内容の実際のものかどうかはともかく、弁論術が重視されていたこともあるし、リーダーが自分が率いる集団構成員に直接話しかけるような場面が多かったのは間違いないだろう。これに対して近代以前の日本史ではお話も含めてあまり聞いたことがない。
また、カレドニアにおける決戦時のローマ軍主力が正規軍団兵ではなくて、バタヴィア族の補助軍であるのは少し驚きだった。正規軍団に対応して同規模の属州民兵がいて、属州防衛に当たっているのは知っている。しかし、後期ならともかく帝政初期段階でブリタニア属州の北方征服に従事しているのが、隣のガリアで集められたゲルマニア人というのは、意外だ。
ゲルマニアは高校生の時に一度読んだことがあるが、その時とそれほど印象は変わらなかった。倫理的側面を美化して