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乗車日記

自転車ときのこ

入唐求法巡礼行記 読了

ライシャワー氏の解説書に続いて、日記本文の現代語訳を読了。最後から一つ前の遣唐使で唐に渡り、天台密教の基礎を持ち帰った慈覚大師圓仁の日記。唐朝も傾きかけているはずなのに、地方の隅々まで官僚組織が張り巡らされていて、中央の命令が実行されていることに驚いた。
この本の盛り上がるところは、やはり五台山巡礼のところと、長安で武宗皇帝の廃仏運動をまともに体験するところ。五台山で数々の神秘体験と貴重なお経を得て、長安でさらに教義を深めるが、帰国の許可が得られずに困っていたところ、廃仏運動で国外追放になって帰国できたという。まさに禍福は糾える縄の如し。
道教、というより不老不死への期待に取り込まれた武宗が発するある意味いかれた命令が、全国で妙に合理的な手順で全僧尼還俗が遂行されていくのは、僧尼の分だけ税と人材が使えなくなることを嫌った官僚たちの意向が働いているように見える。
圓仁の唐残留と帰国に多大な手助けをした新羅人たちの活躍も面白い。行きは九州から直接(今の)上海あたり渡るのにずいぶん苦労していたのに、帰りは新羅船に乗せてもらい朝鮮半島沿いの航海でまったく危なげなく帰国している。それでも、航海は大変なようで、いろいろな祈りを捧げているが、その対象は不思議なことに津々浦々の神々や住吉明神などが主役。帰国後のお礼も、大山寺で金剛般若経を転読している以外は、竈門大神、住吉大神筑前明神、松浦少弐、香春明神、八幡大菩薩。それも経を転読している。この辺り、中世というのは現代の我々とは全く違う世界なのだなと改めて思う。神仏習合本地垂迹も知識として知ってはいても、日本の天台宗の指導者がずいぶん自然にこのようにふるまっているのは不思議に見えてしまう。
それから巻末の請来録に記されたお経や品々の数々は膨大なものだが、不空著の経が多く、また〜〜陀羅尼や〜〜真言が多数を占めている。私にはその内容はよくわからないが、密教の文物を多数持ち帰ったということだけはわかる。
実は山を走り回ってはいるものの、出不精のため比叡のお寺には殆ど行ったことがない。また機会を作って坂本からも登ってみたいと思うし、赤山禅院にも行って見たいと思う。