2012-07-29 文楽 昼から文楽鑑賞へ。 人形なのに生きているようにしか見えない。この動きはまさに神業。 演目は 摂州合邦辻 伊勢音頭恋寝刃 契情倭荘子 人としてのあるべき姿である義理と、人としての自然な感情である人情のあいだでもがく人々。江戸時代の人は町人でさえこれほど正しくあることにこだわっていたのだろうか。分析的な目で見ることはできても、感情移入が若干難しいと感じることもある。儒教の影響が最も強く出ていた時代だからだろうか?むしろ能の演目のほうが自分には自然な感情として受け入れられる。