乗車日記

自転車ときのこ

読了、バクトリア王国の興亡

読了、バクトリア王国の興亡。世界哲学史ミリンダ王の問いからバーミヤン展を経て辿り着いた。BC334年からのアレクサンダー東征の後、現在のタジク、アフガン、パキスタン地域に200年以上存続したギリシャ人の王国の物語。ヒンズークシ山脈の北側で発見されたアレクサンドリアの遺構は圧巻です。https://maps.app.goo.gl/JzFpxwuN1zFkbWbs7?g_st=ic
 また豊富に発行されたコインに刻まれた王名やシンボルを使って、王朝の系統や支配域を調べるという手法も面白い。BC150年ごろガンダーラ辺りを支配したメランドロス王の金貨の表にはギリシャ語でバシレウス(王)、裏にはカロシュティー語でマハラジャ。そしてカンダハルにはBC250年ごろのインドマウリア朝アショカ王の布告のアラム語およびギリシャ語版の碑文があるとのこと。原文のダルマがギリシャ語ではエウセベイア(信仰)、アラム語では真理となっているというのが面白い。ギリシャペルシャ・インドが交わりつつも独自の文化を残している。
 順番から言うと、アレクサンダーBC323年にバビロンで死去したのち、セレウコス朝が東方領土を引き継ぐ。そのセレウコス朝が西方での戦争に忙しくなった結果、マウリア朝のチャンドラグプタと停戦協定を結び、ガンダーラからカブール、カンダハルあたりはマウリア朝の勢力下に入る。そしてマウリア朝のアショカ王の碑文がカンダハルに刻まれる。そのBC250年ごろにバクトリアの総督が独立。BC190年ごろにはヒンズークシ山脈を南に超えてカンダハル辺りまで支配領域を伸ばす。そしてBC150年ごろのメナンドロスの頃までにガンダーラ辺りを支配。しかし北側のバクトリア本国は匈奴の圧迫による月氏やサカ族などの遊牧民族の移動の混乱の中滅亡。最後にカブール川流域に残った王国の滅亡がBC55年ぐらい。
 その後もギリシャ文字バクトリアで起ってインド北部を支配するに至ったクシャン朝で(異なる言語を記述する)表記法と使用され、AD200年のカニシカ王大碑文はギリシャ文字で記されている。それどころか、玄奘が求法の旅の途上、バクトリアを通ったときに、この地方では25文字を組み合わせて言葉を記述すると書き留めており、これはギリシャ語アルファベットのことを指している可能性が高いとのこと。
 知っているようで知らなかった中央アジアの古代史に触れることができ、自分にとって大変意義深い本だった。
 ところで、この辺りの歴史と地形の関係を見る上で国土地理院の陰影起伏図(全球版)が役に立ちました。これだけだと地名が出ないので、スーパー地形図というアプリを使ってgoogle mapと重ね合わせると大変良いです。特にアフガニスタンでは、渓谷に沿って交通路ができて人が広がっている様子がよく分かりました。