乗車日記

自転車ときのこ

浮浪児 1945-戦争が生んだ子どもたち 読了

たしか9月の初め頃に読了。
空襲で家族も家も失った子どもたちにとって上野の地下道は暖かく、かつ地方からの出入り口と言うことで食糧も確保しやすい場所だったため多くの子どもが集まっていたらしい。終戦直後に食べるためにはなんでもやって生きていく姿は凄まじい。施設に保護されてもそちらの方が待遇が悪いので逃げ出すと言うから大変な状況だったのだろう。終戦からしばらくたった後の昭和23年の生業調査というのが載っていたが、たばこ拾いや新聞売り、闇市手伝い、靴磨き、キャディー売りなどが上位にあって、意外といってはいけないが、真面目に働いている方が多い。もちろん、もらい、たかり、パンパン等もある。地方の方が食料があるので、国鉄にこっそり乗って隠れて全国をまわることもあるが、知り合いがいなくて寂しいのでまた帰ってくると談話はもの悲しい。
中盤は行政による上野の浄化作戦のこと。以降は石綿さたよさんが開いた施設の孤児院である愛児の家のことが中心に述べられている。ひどい施設が多い中で、ここは良いという噂が孤児たちの間に広がって一時は100人を超える子どもが暮らしていたとのこと。小さい頃に家族と死に別れたと思って暮らしていたところ、16~17才ぐらいになって親が見つかった人の話が二つ書いてあった。悲しいことに、どちらも親の元に戻ってもうまくいかなかったそうだ。
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