乗車日記

自転車ときのこ

アナバシス読了


ヘロドトスの歴史に続いて、ギリシャもの。テルモピュライの80年後、ペルシャ帝国のキュロス王子に1万人以上のギリシャ人傭兵が雇われて、王位奪取の戦争に参加。バビロンを前にした先頭では、ギリシャ兵は優位に先頭を進めるものの、肝心のキュロス王子が騎兵隊を率いてペルシャ王の陣地に突入し戦死してしまう。故郷を遠く離れた地で、孤立無援のまま残されたギリシャ人達は脱出を試みるが、スパルタ人の傭兵隊長以下の指揮官達が全員和平の宴に連れ出されて、ことごとく謀殺されてしまう。残った者達の中から、アテナイ人クセノポンとスパルタ人ケイリソポスを指揮官に選出し、脱出を試みる。
 まずギリシャ人重装歩兵の圧倒的な戦術的優位性が80年後も続いていることに目を引かれる。しかし、騎兵を欠いた重装歩兵のみでは、敵陣を敗走させても追撃が出来ないので、結局逃げられるだけ。チグリス川を水軍の支援なしにはとても渡れないので延々と上流へ逃げるしかないという選択肢はよく分かる。
 食料が無いので、延々と近隣の村落から略奪を繰り返しながら進む。移動している限り補給が可能という、以前に読んだ「補給戦」という本の内容を思い出す。今のクルディスタンにあたる山岳地帯では、地元民の激しい抵抗を受ける。この地域を含めて他にも明らかになるのは、ペルシャ帝国内といっても、ペルシャの支配から独立している地域もあるということ。また黒海沿岸にはギリシャ人の植民都市がある。意外にすぐに脱出のめどが立つかと思えば、結局1万人以上を輸送できる船は調達できず、陸路に沿って進む。
 最初は一致団結していた彼らが、ギリシャ本土に近づいて脱出のめどが見えてくるに連れて内紛が生じて、ぐちゃぐちゃになって行く様子が生々しい。あと、見えてくるのはペロポネソス戦争後のギリシャ世界は完全にスパルタの支配下にあるということ。彼らは世界最強の軍隊と自他ともに認識されている。その後の崩壊がどのように起ったのかに興味が持たれる。多分スパルタのシステム自体が、狭い地域にまとまった村落共同体の友愛意識で維持されていたため、拡張には対応できなかったためではないかと想像する。
 それにしても、ペルシャ軍のギリシャ軍重装歩兵に対する弱さは酷い。さらに70年後に重装歩兵と騎兵隊の両方を揃えてやってきたアレクサンダーに完全にやられて当たり前といえる。何らかの手を打っておくべきだったのだろうが、伝統やプライドが邪魔して騎兵にこだわったのだろうか。それとも隊列を組んでお互いに支え合うことを基本とする重装歩兵戦術は、ペルシャの社会規範の中では整えようが無かったのか。その辺りの事情も見てみたいが、どのような文献を見れば良いのか見当がつかない。ペルシャ側の文献の良い者があれば読んでみたい。