乗車日記

自転車ときのこ

森林飽和 読了

主に治水の立場から見た日本の国土の森林の変遷を解説している本。化石燃料導入以前の時代で人口がピークとなった江戸時代において、最も森林に対する利用圧が高くなっていた。そのため、人が住む土地の近くの山、いわゆる里山はほぼ禿山になっていたということを、絵画や古地図なども使って示している。筆者の推定で江戸末期の森林率は50%程度、現在は70%程度とのこと。つまり、明治以降の治山事業のおかげで、近世以降で現在が最も森林が豊富になっている状況らしい。
自分は神戸生まれで、幕末期の六甲山がとんでもない禿山であったということは、小学校で習ったので非常に印象に残っていたが、日本全国禿山だらけだったとはあまり考えたことがなかった。海岸の砂浜の後退も、禿山がなくなったことと関連があるようだが、川の砂利採取とどちらがどのくらい効いているかというのは数値的には示しにくい所のようだ。
水を蓄えるという作用については、落ち葉の存在が大きいとのこと。落ち葉が水を吸うということではなくて、雨が直接地面を叩きつけると、表面にその衝撃で硬い層ができて水が浸み込みにくくなるのを防いでいるとのこと。その意味では、人工林などで木を切ってしまっても、落ち葉が流れ出ないように管理していれば大丈夫というような話が書いてあった。自分が行くようなこのあたりの山の感覚では、落ち葉は一年かけて流れていってしまい、また落葉の時に供給されるというような感じだが、何か工夫をして落ち葉が流れ出ないようにしておけばその通りかもしれない。
一番興味深かったのが1920年代からの長期研究によって得られた、森林と渇水時の川の流量の関係。森林があると、雨が降ってから一週間とか10日後の水量は、森林がない場合と比べて増える。これは森林がないと一気に水が流れ出てしまうから。しかし、森林は蒸散で水を消費するので、1ヶ月とか長く雨が降らないときは、流出遅延効果よりも蒸散効果が上回り、渇水時の水量は減るとのこと。本当に水が足りない所では、このあたりのことも考える必要があるらしい。あと、人工林でも自然林でも流出遅延効果、表層崩壊を防ぐ力ともに数値的な差はほとんどないとのこと。
最後の里山の議論のところは、私にはよくわからない。自分にとっては、普段行くような数百メートルの低い山では、道以外は鬱蒼としていて入れないのが普通で、人が入れるような見通しのある里山というのはあまり見たことがない。植物園とか公園とかでは見かけるが。なので、そこへ回帰したいというような気持ちも特にはない。人の利用圧と森林とのせめぎ合いが里山なのなら、その必要がなくなった今、個人的には人工的に利用圧をつくって里山にする必要もない気もする。(本書に載っているわけではないが)倒木を放置して菌類によって二酸化炭素に分解されるのを放置するより、炭にして炭素を固定したらどうかというような議論ならまだわかる。しかし、またこれもきのこ愛好家としては困る。
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