乗車日記

自転車ときのこ

読了 イスラエルの起源

実はこちらの方を「物語 イスラエルの歴史」よりも前に読み終わっていた。

広義の意味でイスラエルの建国に関わったシオニストたちの心理的側面を、個々人の自己を構成する複数の側面の協調や対立の観点から詳しく分析した本。特にロシア帝国に生まれ、シオニズム運動に加わった幾人かについて、その手紙や著書をもとに分析を進めている。例えばロシア帝国に生まれ育ったユダヤ人の場合、その自己の一部はユダヤ教徒であり、またロシア臣民であり、商工業者であったりする訳で、それらの側面が相矛盾している場合もあり、あるいは相互に補完している場合もある。純粋に一種類の側面しか持たないという人間はあまりいない。これらを分析することで、各人の立ち位置や苦悩が見えてくる。

なぜロシア帝国か。まず、20世紀の初頭には世界のユダヤ人の半分にあたる500万人がロシア帝国領土に暮らしていた。そしてロシア帝国ポーランドも含む多民族国家であり、その治世下では様々な制限はありつつも、ユダヤ人も少数民族の一つとして、他のロシア支配下にある民族と同じレベルで、ロシア帝国に参画することができた。ロシア革命による帝国の終焉は、内戦下の秩序崩壊によるユダヤ人への集団暴力行為(ポグロム)の増大に繋がり、またポーランドなどの民族国家成立は、各民族国家内でのユダヤ人への排斥圧力の増大につながった。後者についてはオスマン帝国ユーゴスラビアの崩壊時の出来事に似ている。

そしてイスラエル国家樹立とその後の運営に重要な役割を果たした人々の中には旧ロシア帝国出身者が多い。ただし本書で具体的に述べられていたのはメナハム・ペギンのみ。現在のポーランドに生まれ、パレスチナで対英テロ等に従事し、のちにリクード創設に関わり、イスラエル第七代首相となり、エジプトとの和平合意を達成した人物。*1自分で調べてみると、初代から第12代目までの首相はラビンを除きロシア帝国領土に生まれた人たちだった。(ラビンは1922年エルサレム生まれだが、父親はロシアからの移民。)(付録参照)

本書では西欧諸国でのユダヤ人の自己とロシア帝国でのそれについての分析もなされている。西欧では多数派国民との同化に向かう傾向も多く見られたが、後者では、前述のように多民族国家ではユダヤ人も構成民族の一つという立場であり、かつロシア帝国の崩壊は各地域での多数派民族の中に埋もれてしまうという危機感もあり、またユダヤ人ならではの知的および経済的活躍でロシア帝国を支えようという方向で、ロシア人としての側面とユダヤ人としての側面が両立しうる状況にあったという。

個々の人物についての分析に関しては私は十分に咀嚼しきれていない。ただ、シベリアや極東(ハルピン)のロシア人にまで及ぶ広い分析は非常に興味深いので、もう一度読み返してみようと思う。

付録:(元データはWikipediaおよび中公新書 物語 イスラエルの歴史(高橋正男著))
イスラエル国初代首相(1948~53年): ダビッド・ベングリオン1886年 ロシア帝国ポーランド生まれ、1906年オスマン帝国統治下のパレスチナに移住

イスラエル国第2代首相(1954~55年): モシェ・シャレット、1884年ロシア帝国ウクライナ ヘルソン生まれ、1906年パレスチナ移住

イスラエル国第3代首相(1955~63年): ダビッド・ベングリオン(再選)

イスラエル国第4代首相(1963~1969年): レヴィ・エシュコル、1885年ロシア帝国ウクライナ キエフ生まれ、1914年パレスチナ移住

(1969年): イーガル・アロン(代行)

イスラエル国第5代首相(1969~74年) :ゴルダ・メイア、1898年ロシア帝国ウクライナ キエフ生まれ、1906年アメリカ合衆国移住、1921年パレスチナ移住

イスラエル国第6代首相(1974~77年): イツハク・ラビン、1922年 エルサレム生まれ、父親はロシアからの移民。

(1977年):シモン・ペレス(代行)

イスラエル国第7代首相(1977~83年): メナハム・ペギン、1913年 ロシア帝国ブレスト=リトフスク(現在はポーランド)生まれ、1940~41年 ソ連強制収容所に収監、1942年パレスチナに脱出

イスラエル国第8代首相(1983~84年):イツハク・シャミル、1915年 ロシア帝国ルジャナ(現在はベラルーシ)生まれ、1935年パレスチナ移住

イスラエル国第9代首相(1984~86年): シモン・ペレス、1923年ロシア帝国ビシェニェフ(現在はベラルーシ)生まれ、1934年パレスチナ移住。

イスラエル国第10代首相(1986~82年): イツハク・シャミル(再選)

イスラエル国第11代首相(1992~95年): イツハク・ラビン(再選)、1995年 テルアビブで暗殺される。

イスラエル国第12代首相(1995~96年): シモン・ペレス(再選)

イスラエル国第13代首相(1996~99年): ベンヤミン・ネタニエフ、1949年イスラエル生まれ、父親はロシア帝国ポーランドから1920年に移民。(現在のイスラエル首相でもある(ただし再選))。この人が建国後生まれの最初の首相であることは、現在の状況と関係があるかもしれない。

*1:実のところ好戦的軍事国家云々という帯紙に当たる部分は冒頭のベギンと修正派(右派)シオニスト創始者のジャポティンスキーに関する記述のみ。本書で引用されている「世界は畜殺されるものに同情しない。世界が尊敬するのは戦うものだけである。諸国民はこの厳しい現実を知っていた。知らなかったのはユダヤ人だけである。我々は甘かった。敵が我々を意のままに罠にかけて殺戮できたのはそのためである。」というベギンの言葉には戦慄するが。