二度の元寇のあと、肥後御家人竹崎季長が作製させた蒙古襲来絵詞。長らく歴史から消えており、戦国時代末期になってから名和家から大矢野家へ嫁入りの際の化粧料として現れる。その時点ですでに巻物ではなく、詞書も絵も順番が不明なところが多数。失われて…
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