乗車日記

自転車ときのこ

読了 蒙古襲来絵詞復元

二度の元寇のあと、肥後御家人竹崎季長が作製させた蒙古襲来絵詞。長らく歴史から消えており、戦国時代末期になってから名和家から大矢野家へ嫁入りの際の化粧料として現れる。その時点ですでに巻物ではなく、詞書も絵も順番が不明なところが多数。失われてしまった部分も多い。その後、肥後細川藩によって複製や修復が行われ、諸大名や公儀による複製も行われ、原本は明治時代になって大矢野家から皇室へ献上される。
その後様々な研究が行われるが、どうにも矛盾が多い状態だった。この本では、詞書の内容や絵の細部を検証し、また情報伝達速度や移動速度なども考慮して総合的に考察することで、絵と絵詞の順番を元に戻している。素人なので、先行研究との比較を十分にできるわけではないが、著者の服部英雄氏の再現した順番とストーリーは非常に合理的で矛盾が無い。著者も繰り返し述べているが、先行研究では書いてあることに拘りすぎて、現実の地理的距離やその移動にかかる時間などを考慮していない感がある。
また本書では、巻頭から巻末まで、詞書の丁寧な説明と絵の丁寧かつ詳細な説明が行われており、これによって絵巻物のストーリー全体を完全に理解することができる。詞書と絵の部分は、冒頭にグラビア印刷で、宮内庁所蔵のオリジナル、永青文庫の白描本、白描本の情報を元に再現された彩色本を並べて、全ての部分について示してくれている。これほど丁寧に絵巻物の内容を説明してくれている本は類を見ない。原稿について興味のある人は、この点だけでも読む価値があると思う。(絵巻物の説明に関しては、高畑勤氏の「十二世紀のアニメーション」の信貴山縁起絵巻の解説もかなり詳しかったように思う。)
絵も年代を経て褪色、剥落しており、オリジナルの状態の再現についてもかなり考察されているが、その強力な武器が細川藩が絵詞を他藩に貸し出すにあたって作製したと考えられる白描本だというのが衝撃的だった。白描本というのは墨で形状だけを模写し、色を言葉で書き込んだもの。通常、アナログ情報を含む彩色本のほうが情報量が多いと考えられるが、それは年代を経るごとに劣化し失われていく。これに対して言葉によって離散化(シンボル化)された色情報は、文字さえ読み取れれば劣化しても再現可能。さらに当時の絵師たちは、当然のことながら色を表す体系的な言葉をもっており、微妙な色の違いも記述できる。もちろん、18世紀の終わりの時点で既に劣化は進んでいたが、熟練した絵師の目で見れば、元の状態をかなりの程度推測可能であった。この辺り、先日訪れた桂川の王塚古墳の彩色模様を画家の目をもってするとかなり再現できたという話と共通している。それにしても、自分はアナログ情報の方が情報量として絶対的だと信じてきたが、この本を読んでデジタル情報も捨てたものではないと考え直した。昨日聞き齧ったベンジャミンの複製論にも通じるのだろうか。
最後の方で議論されていた、竹崎季長弘安の役の恩賞として得た肥後海東郡の話は十分に咀嚼はできなかったが、菅浦などと同等の中世の荘園の風景を残しているらしい。一度訪れてみたい。そして何より、蒙古合戦絵詞の巻物を見てみたい。