乗車日記

自転車ときのこ

清経

平家物語 三を読み進めているうちに、お能で見た木曽義仲倶利伽羅峠の戦の前の戦勝祈願、そして清経の入水の場面に出会いました。大学院生の頃、江戸東京博物館の地下の能楽堂で見た清経の入水再現そして死後の修羅道の舞は、なんだか忘れられません。

 今回、平家物語を読むにあたって、清経がどんな人だったのかと言うのが、知りたいことの一つでありました。しかし残念ながら出番は少なく、覚えている限り、最後の場面を含めて3回しか名前が出てきませんでした。
 一回目は巻六で清盛の死後、美濃に攻め込んできた源行家を打つために出発する平家の将の一人として。二回目は巻七 維盛都落にて、妻と子どもが気に掛かってなかなか出発できない兄の維盛に出発を促すため兄弟5人で登場。この二回は名前だけの登場です。そして三回目は柳ヶ浦での入水の場面。
 「中将清経はもとより何事もおもひ入れたる人なれば、「みやこをば源氏がために攻め落とされ、鎮西をば維義がために追出さる。網にかかれる魚のごとし。いづくへゆかばのがるべきかは。ながらへはづべき身にもあらず」とて、月の夜、心をすまし、船の屋形に立ち出でて、横笛ねとり朗詠してあそばれけるが、閑かに経よみ念仏して、海へとしづみ給ひける。」
 私は恥ずかしながらこれまで思い違いをしていましたが、壇ノ浦の後ではなくて、都から太宰府へ落ち、そこから追い出されて屋島に移る途中のことなんですね。殺生を生業とする家に生まれつつも、そういうことが合わない人だったのだろうという感じがします。