乗車日記

自転車ときのこ

アステカとインカ 黄金帝国の滅亡 読了

コルテスによるアステカ帝国の制圧およびピサロによるインカ帝国の制圧の過程が詳しく述べられている。黄金を求めて南北アメリカ深く分け入った、その他の探検隊というか略奪隊の所業についても。

当時のスペインの騎馬、小銃、大砲、弩、等の軍事技術が、石器文明に対して恐ろしいまでの優位性を発揮している。いくらなんでも100人程度しかいないのなら、石器文明軍でも大軍でかかれば倒せそうに思えるが、全くそんなことがない。インカもアステカも数万レベルの軍隊を動員できる社会体制はあったのに、最初の一撃だけでなく、その後の戦いでも、正面切って戦った際にはほとんど勝てていない。特に騎馬隊の優位性は圧倒的だったようだ。10騎程度で1000人以上を蹴散らせるというのは信じ難いが、対処法を編み出せなければそうなってしまうのか。

ただインカやアステカの社会体制としても、一つの文化として構成員が融合し得るレベルには達しておらず、内部分裂があってスペイン人に味方する勢力もあったことも征服を容易にした重要な要因となっている。この辺りはイギリスのインド征服と状況が似ている。

そして、現地人を人間とは思わず、信義もへったくれも無く、騙せるだけ騙してもなんとも思わないコンキスタドーレスたちの態度がさらに優位性を高める要因となっている。言葉が違い宗教が違えばここまでやってしまうのか。その心の支えにカトリック信仰があったことは、無視はできない。

そのような中で、アンデス山中で50年近くゲリラ戦を続けたインカの人々や、植民地時代の終了まで抵抗し独立を保ったチリ南部のアウラコ人がいたことには驚いた。

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