乗車日記

自転車ときのこ

明延鉱山

日曜日はFさんと兵庫県の真ん中あたりにある明延鉱山に行ってきました。奈良の大仏に銅を供給したという記録があるほど古い鉱山で、1987年まで操業していました。1909に錫が発見され、そのあとは日本一の錫の鉱山だったそうです。
朝一番の電車で福知山を経由して和田山という駅まで。この駅は播但線の終着駅でもあるので、播但線の車両を見ることができました。


和田山から明延鉱山まで30kmと少し。11:45ぐらいには到着して、12時からの見学会に申し込みました。一人1200円ですが、ガイドさんが1時間近く熱く語ってくれるので、その価値は十二分にあります。

鉱山にはバッテリーで動く電車が色々とありました。



そして鉱山の中へ。



この鉱山、フロアが36層もあり、全部で1000m以上の高低差、坑道の全長は500kmを越えるとか。こんなダンジョン、迷い込んだら出てこれないですね。
圧巻は大寿立坑の中央エレベータ。深さ400mの立坑の底まで鉄の籠みたいなやつが恐ろしい速度で上下していたらしいです。


鉱山の中は鉱石だらけというわけではなく、岩盤の裂け目に沿って地下深部から鉱液が上がってきた後に鉱石が残るとか。ですので、幅30cmとか数mとかの薄い縦向きの板状の領域に鉱石があり、それを鉱脈と言うらしいです。


なので掘る時も、その薄い板に沿って下から上に崩していって、落ちてきた岩を運び出すとのこと。四人1組で、ドリル班が天井に向かってドリルで穴を開け、爆薬を詰めて爆破。その後、回収班がハンマーで叩きながら石を落として回収。石は半分残しておいてそれを土台に次の天井に穴を掘る。そんな感じで仕事をしていて、出てきた鉱石の量で出来高払い。それを四人で割っていたということでした。天井に向かって作業をするので、横穴を掘るよりずっと危険だったそうです。

閉山前の7〜8年ぐらいは、下層の方にトラックやショベルローダを入れて、ドリルとかも大型の機械を入れて効率化していたらしいです。それでもプラザ合意の後の円高には耐えられず、海外から輸入される原料に太刀打ちできなくなって閉山になったとのことでした。








最終期のディーゼルで動く機械を除くと、ほとんど電池か圧縮空気で動く機械ばかり。圧縮空気は直径20cmぐらいの鉄管で8気圧のものを送り込み、機械の動力に使った後は、そのまま人間が吸う空気になったということです。なかなか合理的ですね。でもコンプレッサーの空気は油臭いかも。

坑道の出口近くの学習館には昔のタイプライターや電話なども展示してありました。

鉱山の奥の町エリアとその奥の選別場も見てきました。





鉱山の後は、神子畑選鉱場へ。往時は直線距離6kmで高低差0mの鉄道が走っていたのに、今は移動しようとすると200m登って、200m下り、また200m登って20kmほどの大回り。





しかし、遥々遠回りしてやってきた甲斐がありました。高低差75mの崖の上から下まで要塞のようなコンクリート建造物。鉱石を段々砕いて分別していたとのこと。一番下にある丸い巨大建造物、シックナーがまた強烈です。https://kotobank.jp/word/シックナー-283396

このあと、時間が足りなくなって先頭交代をしながら鬼漕ぎで和田山の駅へ。なんとか発車10分前に着いてやれやれ。福知山で途中下車してCraft Bankという銀行跡地で作っているクラフトビールをいただいてから帰りました。栗のビールがなかなか良いです。(飲んだ後は担ぐか押すかしています。)






疲れていたので、帰りの電車では2時間ぐっすり眠れました。