乗車日記

自転車ときのこ

零式艦上戦闘機 読了

こちらは少し前に読み終った。専門の研究者ではなくて弁護士業をやりながら研究成果らしいが、内容は大変しっかりしてうわついた所が無い。前半は開発段階からの零戦の技術的な解説。特に同時期に開発された他国の戦闘機と比べて性能的に優れている訳ではないことが説明される。ずっとこの調子かと思ったら、後半はほぼ作戦運用の話。結局、戦闘機の性能ではなく、どのように運用するか、そしてその時の勢いがどちらにあるかで、統計的には結果が決まるという説明。
 特にこれを読んで自分が初めて理解したのは、飛行機の速度と策敵距離の関係のこと。時速500kmで攻撃機が飛来する場合、25km先で見つけたとしても、25/500*60=3分で飛行場あるいは空母まで到達する。戦闘機の暖気運転だけで10分以上かかるというから、これではやられ放題である。25kmというと桂から音羽山上空を見るようなものだから、この距離であってもよほど注意してみないと見つけるのは難しい。ましてや雲でもあると、どうしようもない。きちんとしたレーダとその運用技術が確立するまでは、明らかに防御側が不利だったので、当初攻勢にあった日本側が航空戦で勝つのはある意味当たり前と言える。
 さらに話は運用面でのまずさがガダルカナル以降に航空戦で勝てなくなることの原因という分析に展開して行く。とくに驚いたのが無線電話の雑音が多かったので殆ど使われることがなく、作戦指揮がまともに出来ていなかったということ。それから、戦果の報告が酷く水増しだったこと。パイロットの報告を合計すると、戦後分かった実際の戦果の5倍、10倍になっていたそうだ。これではまともに次の手を打つことができない。大本営発表というのは、大本営で水増ししているのだと思っていたが、そうばかりでもなかったようだ。まあパイロットは極限状況で戦っているので、冷静に結果を確認できないのは当然で、米軍でも厳しい戦いほど戦果報告が水増しになっていたそうだ。ただし、米軍ではガンカメラを導入して、対艦戦闘では誤認が生じないような対策はしていたらしい。
 いずれにせよ、30年代以降の日本はそもそも戦略がどうしようもないというか、まともに考えていないので、何をやっても迷惑をかける時間が変わるだけで結果は同じだったのではないかと思う。なんとかそんな袋小路から出る手だては無かったのだろうか。後知恵で考えても、なかなか方策が見つからないのだから、そんなことを求めるのは無理なのだろうが。