乗車日記

自転車ときのこ

異神 第一章 再読

頼豪阿闍梨、呪力を持って白河天皇の中宮に皇子を懐妊させ、三井寺戒壇建立を望み、拒否されて呪いながら死に、その際に皇子を一緒に連れて行き、最後は鼠の大群になって比叡山の御経を食い散らす、そのような話が太平記にも平家物語にもかなりの枚数をさいて記述されている。読んでいて気になってしかたがない。
 良く記憶をたどると、自分がこの話を最初に知ったのは京極夏彦鉄鼠の檻、そこから太平記を断片的に読み、この山本先生の異神を読み、また太平記平家物語を通しで読むという具合に巡っている。まるで何か取り憑かれているような感じがする。そう言えば、京極先生の本で一番のお気に入りは鉄鼠の檻あるいは魍魎の箱。

 この異神という本は、中世に我が国に到来した異国の神々を論じている本だ。頼豪の説話には王法と仏法、山門と寺門、そして神の世界と人の世界、といった複数の階層での意味の連鎖が存在する。その中で、入唐した智証大師円珍が異国より勧請した新羅明神・・・三井寺の守り神と、慈覚大師円仁が異国より勧請した赤山明神・・・延暦寺の西の守り神との対決が、平家物語のある位相で語られている。
 で、平家物語を読み終わって頭が新鮮な内なら、前回この本を読んだときに分からなかった細かい部分まで理解できるのではないかと期待して、読み直してみた。
 書いていても切りがないので、一番しびれた所だけ。平家物語のなかの、頼豪の呪いで病気になった皇子の枕元に、白髪の老僧が錫杖をもってたたずんでいる夢を周りに控えている人々がみた、という記述から頼豪と新羅明神のオーバーラップを指摘する段。頼豪は高齢の僧侶なので、白髪の僧侶のイメージ、そして新羅明神は錫杖を手に持った唐人のイメージで絵画に描かれている。錫杖というキーワードで図像と文を連想させて、この結論に至るのは凄い。
 その他、実際の出来事を少しずつ改変し、後から以前に起こったことの順番を入れ替えたりすることで、すっかり換骨奪胎して、頼豪説話ができる過程も細かく分析されている。こういうことを積み重ねることで、王法に対する支配力を形成していったのだろうか。
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