乗車日記

自転車ときのこ

読了、明と暗のノモンハン戦史。

読了、明と暗のノモンハン戦史。自分にとっては、ソ連側の資料に基づく検証が、特に新しく有用な情報だった。戦後人事について一章が割かれているのが良い。将官・参謀に対する甘い処置と、極限まで戦って部隊を退却させた前線指揮官、捕虜になった将校・下士官への自決勧告(撃墜されて捕虜になったパイロットも含む)。中でも、軍法会議を開かずに、小松原23師団長と荻洲第六軍司令官が、極限的状況で部隊を撤退させた部下を自決に追い込んでいるのは特に酷い。

それと停戦交渉に関する一章は大変有用だった。関東軍が準備していたが実行されなかった9月の攻勢が、停戦交渉への大きな圧力になっていたらしい。また交渉締結直前の小競り合いで獲得した土地が、国境線を割と大きく変えることになった。ソ連側も独ソ不可侵条約締結後のポーランド東側への進駐を控えて焦りがあったようだ。

(地図はgooglemapからの引用)
上の地図の中国とモンゴルの国境の右下の方で、モンゴル側に張り出している部分がそれ。ノモンハンの戦場はこの地図の左上のあたり。主に、南北の川(ハルハ川)の東側、かつ東西の川(ホルステイン川)の北側の領域。この国境の戦いで双方合わせて4万人以上の死傷者が出た。

この本を読んで、補給線についても再認識した。

(地図はgooglemapからの引用に加筆)
ソ連側の補給線は上図の赤線。シベリア鉄道末端のボルジャから700kmの未舗装路。ここに最終的には5800台のトラックを投入して、日量1950トンの補給を行った。日本側の補給線は黄線。160km。ここに最終的にはトラック2000台を投入して日量1500トンの補給を行なった。鉄道末端からのトラックによる補給能力がかなりある。しかし、事変の時期全体でのソ連側の砲兵の発射数43万発に対して、日本側の発射数は6万6000発。これだけでも物量的にかなり厳しい。夜戦で陣地を奪取しても、昼間の砲撃でやられてしまう。その上、8月のソ連軍の大攻勢のときは、日本側は戦車なし。
ノモンハン戦を総括した大本営の研究会報告では、当初「精神威力だけでは物資力に対抗し得ざることあるを認識するの要あり」となっていたのが、上層部から反発が出て「国軍伝統の精神威力を益々拡充すると共に、低水準にある我が火力戦能力を速やかに向上せしむるにあり」と締め括られたとのこと。