乗車日記

自転車ときのこ

読了、藤原道長「御堂関白記」を読む

自筆本を読むことの意義を知った。墨の薄れていく様子から何日分をまとめて書いたのかが推測でき、取り消しや間違いの具合から書いているときの心の動揺を推測できる。また、紙の面裏の使い分けも意図がある。そして、道長が仮名で記していた自分の台詞や相手の台詞などは写本の場合、漢文になっていたり省略されていたりする。微妙な感情表現の入った台詞を漢文で書くのは難しかったらしい。
 そもそも、千年も前の為政者の日記、それも自筆本が残っていること自体が世界的に稀有らしい。必ず正史が編纂されるので、日記が公的にはそこまで重要でない面もあるとのこと。日本でも六国史が編纂されていた頃の日記は残っていないそうだ。
 また、道長の時代は後世の貴族からも特に記録に残すべき時代と考えられていたとのことで、御堂関白記以外にも、藤原実資小右記藤原行成の権記が残っている。現在の陽明文庫でも、御堂関白記は一つの箱に収められていて、火事などの時には真っ先に持ち出せるようにしてあるらしい。
 個人的には、望月の歌を道長自身は日記に書き残していないことや、刀伊の入寇について一言も記述がないことなどが印象的だった。