山科家の日記から十五、一六世紀の京都の食生活を、興福寺の日記から十六世紀奈良寺院の食生活について紹介。後半は日本酒や大豆発酵食品の歴史について文献をたどりつつ解説。著者は農学部出身なのに種智院大学の教員となり、古文書を調べつつ発酵技術についての知識を生かして詳しい解説をしてくれている。中盤の言経卿の日記の所では、食から離れた感があったが、面白かったのでよしとしたい。山科言継卿の日記は読んだことがあったが、4~5分代続けてそれも食に焦点を合わせて読むというのは、食文化の変遷が分かってとても面白い。山科家の人たちが結構東山のキノコを食べていたことを知った。それから、醤油が出てくる前は酢の文化が色々とあり、この食材にはこの酢といった組み合わせがあったようだ。今だと蓼酢ぐらいしか思い浮かばないが、失われた文化があったと言うことだろう。
また、日本酒の三大技術である、火入れ、諸白、寒作りの全てが奈良の寺院で開発され、伊丹などのお酒が出てくるまでは技術の中心地で会ったと言うことは驚きだった。納豆や味噌や醤油や醤なども結構ごちゃごちゃしていて境界が曖昧だったというのも面白かった。
それから、近年日本の火入れ技術をパスツールの低温殺菌法に先立つものとして大きくたたえることが多いそうだが、著者はそれに異議を唱えておられる。火入れ技術が使われていたことは素晴らしいが、火入れのみでは十分な保存が効かないのに改善を行わず、なかなか海外への販売が出来なかったこと、いつまでも防腐剤を入れていたことなどが紹介されている。特に、火入れでなぜ腐敗が防げるかの原理が分かっていなかったので、火入れ後の酒を元の桶に戻してしまい、結局殺菌の効果が半減していたことんどは教訓として、これからも胸にとどめておくべきかと思った。