乗車日記

自転車ときのこ

記号論I 読了

最初の2/3ぐらいはさっぱり分からず苦労しました。コード、記号、意義素、表示議、共示議、意味標識、、、。どれも説明はあるのですが、そもそも私の知らない、あるいは知っていてもそれとは違う*1意味の言葉が沢山出てきます。こういうとき、いつも思うのですが、曖昧な理解の言葉の割合が例えば3割以下なら、残りの言葉と文脈から意味を再生できるのですが、ある閾値を超えるととたんに分からなくなります。
 それが残すところ1/3ぐらいのところで、意味のネットワークを表す図がでてきたところで、これまでのゆるゆるのブロック同士がかちっとはまり、とたんに全体が分かるようになりました。自分にとって未知の分野というのは、この楽しみがあります。
 また、意味のネットワークの説明図を見ることで、自分の中でその説明用語の意味のネットワークができあがるという、大変興味深い体験でした。理論でその理論自体を操作しているような。その構図としてはゲーデル不完全性定理の証明に感覚が似ています。それに最後に論じられていた、同じテクストとが受信者のもつ体型によって、異なる形で受け取られるという議論と、自分の状況も重なっているのも愉快でした。実践しながら理論を読むというのは最も理解が進むやり方ですが、読んで悩んでいたこと自体が理論の実践になるというのは面白いです。
 ウンベルト・エーコ氏の本は、いつも取っつきにくく、入り込むとやめられないという感があります。薔薇の名前はともかく、フーコーの振り子も、バウドリーノも、完全言語の探求もそうでした。このまま2巻目に入ることにします。記号生成の理論。趣味で読んでいるのですが、新規な概念を説明する上での一般論として、仕事の上でも役立つ気がしてきました。
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*1:これは余計にやっかいかも知れません。先日のマクドのコンビとセットの時も、セットの一般的な意味とマクドでの意味が違うことから、やりとりのずれが生じたと思います。