乗車日記

自転車ときのこ

九州旅行3日目

唐津6時50分の電車で佐賀へ。佐賀駅で降りて吉野ヶ里まで自転車。佐賀平野の広さに驚く。吉野ヶ里遺跡も非常に広くて、再現建築が多数ある。厳重な柵と堀と物見櫓。物騒な世の中だ。まつりごとを行う主殿は柱が十六本の大きな三階建の建物。甕棺の実物なども見れた。広さや大きさの感覚を掴むのはやはり本では難しい。
次は電車で桂川(ケイセン)へ。いつも乗換案内で間違えるやつ。王塚装飾古墳へ。本物は見れないが実物大レプリカを堪能。1時間で駅に戻り、電車で直方へ。原田線のトンネルが長い。5分以上走っていた気がする。単線で狭いし、怖かった。
直方では子供の頃入り浸っていた石炭記念館へ行く。記憶にあった炭鉱の模型とも再開できた。そして久しぶりに伯母の家へ。色々と話しながら夕食。伯母は王塚古墳の石室を見たことがあるそうだ。鮮やかだったと。そのあと従兄弟と酒を飲んで、気がついたら布団で寝ていた。



JR九州の電車はどれもこれも関西と全く違うので、異世界のようです。



佐賀平野は広い。


吉野ヶ里遺跡も広い。


階段のついている場所があったので堀の底降りてみましたが、この側面はとても這い上がれそうも無いぐらいの斜度でした。


四方に物見櫓、柵に堀。ずいぶん物騒な世の中に見えます。でもなぜか堀が柵の内側にありました。ボランティアの説明員さんにお聞きしたところ、この区画ができた頃は既に吉野ヶ里は佐賀を制覇していて、頻繁に戦争が起こるような状況ではなかったそうです。そうなると堀が内側の方が便利ということ。まずはゴミ捨て場に使える。また、柵が土盛りの上にあるので、そのままだと雨が降ると内側に水が溜まってしまう。それで、内側の堀が排水施設になる。普段はそんな感じで、戦争の機運が高まるとゴミを掃除して備えていたのではないかとのことです。


偉い人(大人)の家。庶民の家と構造は同じですが、簀の上にゴザを敷いた場所や、ローテーブルなどがあるのが違います。漆塗りの製品などもおいてありました。



まつりごとの中枢区画。さっきのところよりあとの時代のものなのでしょうね。柵がさらに厳重になっています。


一番大きな名てものは柱が16本もある3階建ての建物です。


柱の継ぎ方が分かりませんでしたが、最後に行った展示館に透明模型がありました。ほぞでついでいるのが理解できました。説明員さんにお聞きしたところ、弥生時代後期には既に鉄製のノミが使われていたそうです。ただし、くさびはなかったとのこと。再現建物では強度を確保するために仕方なく貫のところに木の楔をいれているが、本当はなかったのでもっとグラグラしていたのではということです。抜き構造自体はすでに縄文時代にあったとか。能登半島に遺跡があるそうです。石器でどうやって穴を開けたんでしょうね。


大事なことを決めるために王の前に有力者が集まっている様子。先ほどの建物の2階です。


王が決めかねたので、巫女が神のお告げを得ようとしている様子。この建物の3階です。


有力者埋葬領域の甕棺。


甕棺の中は割とゆったりしています。カプセルホテルみたい。


他では見つかっていない特殊な様式の銅剣。


庶民の甕棺埋葬領域。


首のない遺体の埋葬跡。戦争の時に首を取られたのではないかということです。


今年の4月に石棺墓が見つかった場所。見晴らしの良い丘の上に単独で埋葬されていた。


その石棺の蓋の写真。邪馬台国時代のものとのことです。


九州で初めて見つかった銅鐸のレプリカ。九州ではほとんど銅鐸が出てこないそうです。


鳥栖、原田と乗り換えして、桂川(けいせん)へ向かいます。乗り換えの時にどのホームに行ったら良いか分かりにくくて焦りました。近鉄並みに路線が複雑です。この後の筑前山家から筑前内野の間のトンネルが長かった。地図で見てざっと4~5kmぐらい。


桂川(けいせん)駅に到着。建物が王塚古墳の玄室の模様になっていました。実は私は桂川(かつらがわ)駅の近くに住んでいるのですが、いつも乗換案内でけいせんがでてきて紛らわしいのです。今回尋ねることができて、少しわだかまりが収まりました。こちらの人も同じようなことを思っているでしょうね。


王塚古墳。今は中を見ることはできませんが、隣の資料館に実物大のレプリカがあります。


玄門袖石左。馬が三頭。


玄門袖石右。馬が二頭。


正面下側は連続三角文。上の白い丸は星ではないかとのこと。


左側面。盾。


玄室右側面。靫(ゆぎ)という矢を入れる箱の絵が書いてあります。


天井。星座なのかな。




この他にも、各地の装飾古墳の模型がありました。東北にも装飾古墳があって、絵柄が似ているというのが不思議です。


直方駅。すごい数の線路です。ターンテーブルもあるらしいですが、見損ねました。


炭鉱記念館。


ボタ山がこんなに高いとは知らなかった。



黒田藩の頃から石炭を掘ってたんですね。


炭鉱事故レスキューの訓練のための模擬坑道。レールの上の薄緑のやつは圧縮空気で動く列車の空気タンク。




ずいぶん昔から空気呼吸器を導入していたのですね。






神子選別所でも見たシックナー。


子供の頃好きだった炭鉱模型はたぶんこれではないかと思う。

軍艦島模型。凄い密度だ。